FC2ブログ

〈信仰体験〉 復活した伝説のディスコ「マハラジャ」2018年7月12日


今再び輝く! 時代の波を越えて
総合プロデューサーとして店舗を演出
スーツを華麗にまとい、ホールに立つ熊谷さん。「皆に楽しんでもらえるよう、誠実にお客さまと接しています」と
スーツを華麗にまとい、ホールに立つ熊谷さん。「皆に楽しんでもらえるよう、誠実にお客さまと接しています」と

 【兵庫県芦屋市】京都・祇園に昨年、復活オープンしたディスコ「マハラジャ」。週末の夜、50代を中心とした男女が次々と入店していく。ダンスフロアに交差するカクテル光線。ビー・ジーズ、アバ、ドナ・サマー……往年のディスコ・ナンバーが流れると、“バブル世代”の血が騒ぐ。「お立ち台」では、扇子を振る女性の姿も――。熊谷カールさん(57)=岩園支部、副支部長=は同店の総合プロデューサー。30年前は店長を務めていた。時代の“頂点とどん底”を味わい、今再び、ここに戻ってきた。

バブルの星

 ドイツ系アメリカ人の父と、日本人の母との間に生まれた。母と共に、1歳で創価学会に入会。父は、熊谷さんが9歳の時に他界した。
 大学へ進んだ19歳の時、モデルにスカウトされる。身長も高く、容姿も端麗。昔から目立つ存在だった。
 1986年(昭和61年)、25歳の時、抜てきされ、「マハラジャ祇園」の店長に就任。若くして、大卒初任給の3倍を超す収入を得る。女手一つで育ててくれた母を京都に呼び寄せ、妻・朱実さん=婦人部員=と結婚した。
 時代はバブル景気の絶頂期。店は人であふれた。野心に燃え、才覚だけで勝負する日々にあって、信仰が必要とは感じなかった。親身に激励してくれる男子部の先輩もいたが、積極的に学会活動することはなかった。
 90年(平成2年)の株価暴落を機に、景気は一気に後退。“バブルの象徴”とうたわれた「マハラジャ」への客足は遠のく一方。96年3月、ついに祇園店は閉店。それでも、まだ退職金はもらえた。
 故郷の芦屋に戻り、再起を期して、商売を始める。翌年、イタリア料理店「アグリオ」をオープン。事業を成功させたいと、この頃から真剣に唱題に励み、学会活動に取り組むようになる。
 苦しい時期もあったが、経営は次第に軌道に乗っていく。雑誌からの取材も相次ぎ、気付けば、行列ができる人気店に。
 景気が回復傾向を見せ始めた2005年からは、多角経営に乗り出す。銀行からの融資もあり、一気に飲食店を6店舗にまで拡大。
 だが、自己資本もないままの経営は、まるで“砂上の楼閣”だった。08年のリーマンショックで、各店舗の売り上げは、20%以上減少。以降は借入金を補填するため、さらに店舗を増やすという悪循環に陥った。

宿命転換を

 破綻の恐怖に、闇の中を進むような日々。時代と宿命に翻弄される自分が情けなかった。そんな状況を案じて、温かく激励してくれたのは壮年部の同志だった。
 「商売どないや!」――一日会館長の任務に就いていると、よく声を掛けられた。館内点検を終え、警備室に戻ると、机に池田先生の指導が記されたメモが置かれていたことも。
 そんなある日、「地区部長として頑張ってもらいたい」との話が――。
 自分に務まるのかとの不安もあったが、“今こそ宿命転換の時”と腹を決めた。地区部長として、どんなに忙しくても学会活動に走った。毎月の座談会には全力で準備に当たった。参加する同志に逆に勇気をもらい、仕事が苦境にあっても、心はいつも朗らかだった。
 11年、ついに事業は破綻する。店舗は全てなくなったが、幸い、別会社にしていた最初の店「アグリオ」だけは残った。
 それでも、借金が重くのし掛かる生活。“地区部長として、負けるわけにはいかへん”との責任感が熊谷さんを支えていた。
 「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(御書1448ページ)との御聖訓が胸に響く。“自分の使命の道とは何なのか”――ひたぶるに御本尊に向かった。
 14年3月、広宣流布大誓堂での「誓願勤行会」に参加した。大誓堂に入ると、師の魂に触れたような感激に包まれ、自然と涙があふれた。
 厳粛な勤行・唱題に声を合わせると、自身の悩みがちっぽけなもののように思えた。“どこまでも御本尊と池田先生と共に進もう。この先、何があっても、広布のために、戦い、勝ち抜いていこう”
 1週間後、「マハラジャ」のかつての経営者から電話があった。店舗を復活するに当たり、「力を貸してほしい」との思いもかけない依頼だった。

ダークスーツ

 14年4月、「マハラジャ」発祥の地である大阪に、「マハラジャ大阪」が開店。営業本部長として勤務することに。
 17年9月には、かつて店長を務めた祇園店が復活し、「総合プロデューサー」に就任した。
 祇園店は、昔と同じ場所にある。規模は小さくなったが、懐かしいこの店で、もう一度、勝負できることが、うれしかった。
 復活した「マハラジャ」は、バブル当時の絢爛豪華な内装とは違い、黒を基調とした落ち着いた雰囲気に。
 座席も多く配置し、各種パーティーなどでも使用できる。「華やかさは維持しながら、誰でも気軽に利用できる店にしたかったんです」
 あの頃は、店も客も、自分のためにあるように感じていた。だが、今は違う。客からの「ありがとう」の声が、何よりの喜びだ。
 DJを務める生田嘉宏さんは語る。
 「熊谷さんは、僕らにとっての憧れの存在。“あの頃、お世話になりました”って、熊谷さん目当てに来店する方も多くいらっしゃいます」
 事業の借金は返済のめどが立ち、「アグリオ」も地域に愛され、経営は順調だ。
 思えば、“浮き沈み”の激しいこの世界で、40年近く生きてきた。時代は常に変化する。「だからこそ大事なのは、どんな状況になっても、負けへんこと。何度でも乗り越えてみせます」と熊谷さんは誓う。
 何よりも、支えてくれる母や妻、学会の同志、池田先生への報恩の心に燃える。
 今夜も祇園の町に、“かつての青春”を取り戻したかのような、男女が集い来る。迎える熊谷さんが身にまとうダークスーツ(黒服)は、負けじ魂で果たした“復活”の証しである。
 (関西支社編集部発)

スポンサーサイト
sidetitleプロフィールsidetitle

kouhatuki

Author:kouhatuki
広宣流布専用のアカウント。
どこまでも、先生と共に!

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
08 | 2018/09 | 10
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleQRコードsidetitle
QR
sidetitle訪問数sidetitle