〈小説「新・人間革命」〉 雄飛 五十

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 一九八一年(昭和五十六年)が明けた。
 反転攻勢を決する年である。
 学会は、この年を「青年の年」と定め、同志は新生の出発を期す決意を固め合っていた。
 元日、山本伸一は、恩師・戸田城聖が第二代会長として立った翌五二年(同二十七年)の正月に詠んだ和歌を、生命で嚙み締めていた。
 「いざ往かん 月氏の果てまで 妙法を
     拡むる旅に 心勇みて」
 この歌は、伸一が第三代会長に就任した六〇年(同三十五年)五月三日、就任式の会場となった日大講堂に、戸田の遺影とともに掲げられたのである。彼は、歌を眼に焼き付けながら、恩師の遺影に、今世の生涯の大法戦を開始し、不二の弟子として世界広布の旅路を征こうと、深く心に誓ったのであった。
 就任式の朝、伸一は誓いの和歌を詠んだ。
 「負けるなと 断じて指揮とれ 師の声は
     己の生命に 轟き残らむ」
 そして、この八一年の元朝、彼は、いよいよ全世界の同志と共に世界へ打って出て、本格的に広宣流布の指揮を執らねばならないと心を定めていたのである。
 彼は、翌一月二日で五十三歳となる。限りある人生の長さを思えば、世界広布のために、今、なすべきことはあまりにも多い。もはや一刻も、躊躇している時ではなかった。
 宗内は、ますます混乱の様相を呈していた。伸一は、何があろうと自身が矢面に立って、宗門を外護しつつ、新たな道を開く決心であった。
 一月十三日夜、伸一は成田から、アメリカのハワイへ向けて出発した。今回の海外訪問は約二カ月の予定であり、アメリカでは、ハワイ、ロサンゼルス、マイアミなどを回り、さらに、中米のパナマ、メキシコを歴訪することになっていた。
 ハワイでは、十五カ国・地域の代表が集い、第一回世界教学最高会議が行われた。生命尊厳の根幹となる仏法の法理を掘り下げ、世界に人類平和の確固たる哲理を打ち立てていかねばならないと、伸一は痛感していた。



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